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ブログ運営者

〜運営者のルーツ〜
学生時代は直観的に学業に対して疑問を感じた事がきっかけで、興味のある分野の読書とスポーツ、アルバイトに明け暮れていました。
サッカーとフットサルを主体として、ボクシングや水泳もやりました。社会人になってから新しいスポーツとしてゴルフ(スコア100切りできない)を始めました。
現在は早朝ランニングと軽いトレーニングの30分程度の運動で運動不足を解消しています。
さて、直観的に学業に疑問を感じたと上記で述べましたが、この「直観」とは、理論や推理などによるもので疑問を感じたのではないという意味です。
いま考えれば自分にとって、この勉学に励む事はどのようなメリットがをもたらすのかが甚だ疑問でならなかっただけだったのだと思います。
教科書に書いてある事の裏付けが少ないことなんのと。
中学2年生の全国模試でトップ70位(くらい)に入った結果、私が感じたことは、「勉強はやればもっとできるようになるのかもしれないけれど、どこに向かっているかわからないで努力するのは気持ち悪いから、他のことに自分の時間を使いたい。」という気持ちでした。
要は自分が今、どこにいるかわからない霧の中を歩いてしまった先に、もしかしたら落とし穴があるのではないかと思ったわけです。しかし結局、両親による強い意向で高校に進学することになります。両親に逆らうための根拠が乏しかったです。当時は一般試験を経ずに入学できる推薦制度がありました。私の進路希望は農家でしたが。。。なぜ農家と書いたのかは不明。。。
きっと自然と戯れる事が自分にとって必要だと思ったのでしょう。
たぶん。。。
しかし高校に入っても特に勉強はせずに、読書とアルバイト、遊びに明け暮れます。
読書は世界情勢が理解できるものばかりでした。
主に宗教と戦争、政治関係が多かったような気がします。
見かねた親が個人指導の塾に私を通わせたいと言ってきたので、断る術も無く了承しました。
そこで出会った先生が非常に面白い先生で、現在は和歌山県で弁護士をやっています。
面白い先生の授業は、やはり面白いもので、勉強をせずに受験勉強をしていた感覚です。
やはり物事は取り組んでいる時に楽しいのが一番です。この先生の影響もあって法学部に入学しました。人は人の影響を受けがちですね。
おかげさまで人並みに大学生活は送らせて頂きました。
ちなみに大学は都内所在の某T京大学です。
就職活動では営業職で内定は頂くものの、なんだかこのまま社会人になるのが腑に落ちず、頂いた内定を蹴ってしまいました。
西新宿にあるリフォーム建築会社の営業職でしたが、面接は数十人単位で行われていたようですが、私はなんと推定数百人の中から合格者の数名に選ばれてしまったようです。
その時の面接官が親しみやすい感じだったのが、とても印象的なのをよく覚えています。またせっかく選んでもらったのに採用を蹴ってしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだったのもよく覚えています。
その後、大学を卒業し学校教育に疑問を持っていたため、その疑問を解決するために教員の道へ進めば何か手掛かりがあるかなと思い、教職課程があった大学を卒業したのにも関わらず、通信制の教職課程のある某M大学へ進学しました。
臨時職員として小学校でバイトしたり、放課後学童保育で子供たちの面倒を見たりしながら教職課程をこなしていく予定でした。しかしせっかく学費を払っていたのにも関わらず、教職課程には集中できず、自分が気になった書物を手に取る毎日。
その中でも特にロバートキヨサキ著の金持ち父さん貧乏父さんを読んでいて、それが学校教育の内容に抱いていた疑問を解決するのに役立ちました。
学校教育のカリキュラムは、ステレオタイプの人間を育てるのには大きく貢献できるけれども、自分らしい生き方を追求するのには適さない事を理解しました。
そして仕事の選び方や、やり方次第では自由な人生を謳歌する事ができる事がわかり、通信制の大学と小学校臨時職員を1年で辞めて、時間を見つけては様々なビジネス関連のセミナーに通い始めるのでした。
そして翌年に選びに選んだ中のネットワークビジネス(MLM)を始めます。
なぜならロバートキヨサキ著の2冊目の起業方法の3番目にネットワークビジネスが書いてあったからです。特に起業家(リーダー)としての教育に力を入れているグループを選びなさいと書いてありました。色んな会社の色んなグループを見た結果、ニュースキン所属のグループにお世話になる事にしました。
そこから紆余曲折あり3年で正規代理店になりました。しかし正規代理店の維持条件を満たすことができなくなり、4年経過した頃には借金やローンが残り、フィジカル的にもメンタル的にも限界が来ていました。
彼女(現在は嫁)の提案もあり、保証給約100万円(3ヶ月分)を目当てにタクシー業界に片足を突っ込んでから現在に至ります。

※当時使っていた両面刷りの名刺です↓

〜経歴〜
22歳、TBSの下請け会社のADをやってみてはみるものの3日目で挫折。雑用に耐えられず三日坊主。一緒に番組制作をやっていたスタッフさんにはご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。

23歳までは大学生をやっていました。小学校の臨時職員をやったり、近所のサッカークラブで指導コーチ(地区ブロック4位が最高成績)として頑張っていました。
その後、大学を辞めてフリーターになり、時給仕事は婦人服屋のFA(ファッションアドバイザー)でした。

24歳の時にアムウェイかニュースキンで迷った結果ニュースキンに登録。ニュースキンビジネスを本格的に始めるために、本場アメリカへ3泊5日のコンベンションへGOしました。やる気スイッチが入りました。
しかし全く上手くいかない。帰国後、家族や友達の協力などが得られず、今までの生き方を全否定されるような気持ちになる。精神的に孤独になりました。

25歳、上手く行かない事に慣れるのには時間がかかりましたが、めげずに継続して新規開拓をし続けます。心の中は、めっちゃ頑張っている割に結果が伴ってこなーい!というのが本音ですけどね。

26歳、再度アメリカンドリームを生で確認するため、1週間のアメリカコンベンションへ。ニュースキン活動をしていく中で、付き合う事になった彼女(現在の妻)との初デートとなりました。ビジネスのコンベンションがメインのはずが、気持ちはほとんどが遊びメイン。限界まで頑張ってじた時期なので、久しぶりに遊んだ感じで本当に楽しかったです。しかしアメリカへ一緒に行ってくれたダウンラインの事をあまり気にかけていなかった反省のコンベンションでした。最低最悪のアップラインだったと思います。

27歳、正規代理店になりました。
一方でランニングコスト消費による借金が大変になってきたので、約3年半続けてきたニュースキンから、ついに一旦離れる事に決めました。
そしてタクシー業界に腰かけのつもりで片足を突っ込む。保証給3ヶ月で約100万円をもらったら辞めるつもりが、2ヶ月目で月額の保証給を上回ってしまう。3ヶ月目も月額の保証給を超えてしまったので一旦、腰を据えてタクシーにハマる事を決意。

28歳、妻(当時の彼女)が29歳だった事も懸念して、私が28歳の時に結婚しました。
本当に私とよく結婚したいと思ってくれたと、今では思います。
だって借金背負いのネズミ小僧ですから。
新婚旅行はイタリアとフランス旅行に。イタリアではレンタカーを借りて7都市の周遊。フランスではムーランルージュに感動。人生で初めて女性の裸体を見て、良い意味でエロさを感じませんでした。居住を六本木から高円寺に。

29歳、妻が鍼灸院の院長を務める傍ら、私は仕事明けの時間で妻のマネージメント業をしました。鞄持ちをやったり移動の際に車の運転係をやったり割と忙しかったですが、妻が治療中や背術中などの空き時間にはひたすら読書をして過ごしていました。

30歳、タクシーの年収が1000万円を突破、素晴らしい会社と上司や先輩から様々な享受を受ける事ができたおかげです。居住を浅草近くに。この頃にゴルフを始める。
ゴルフを始めたきっかけは、会社の先輩の影響です。

31歳、妻が民泊(Airbnb)を始め、スーパーホストに認定される。賃貸の部屋が広すぎて部屋が余っていました。色んな外国人との交流は非常に楽しかったです。家賃も浮いて一石二鳥でした。しかし住民から通報が入ったらしく管理会社が自宅に訪れ、やむなく民泊を中止する事に。
この年に昨年と合わせて、タクシー2年間の合計給料が2000万円を超えました。

32歳、タクシーで年収1000万円を突破した経験を東京のタクシー乗務員に還元しようと、タクシー乗務明けの時間を使い、個人で仕事ができるようにネット集客の基礎を作り始めました。この時はまさか多くの乗務社員さんからコンサルの申し込みがあるとは知る由もありませんでした。転職サイト運営会社からの取材の申込みがあったり、記事タクシー関連の記事投稿の依頼があったりと非常に楽しかったです。

33歳、タクシーコンサル業開始。32歳で始めたインターネットサイト構築から約3ヶ月で申し込みが始まったので、翌年の1月から活動開始。
転職サイトからの取材申し込みがあったり、たくさんの生徒さんの収入アップに
貢献できて、とても充実した一年になりました。
この年にタクシーの通算累計売上が1億円を突破。

34歳、一人娘のパパになりまして、居住を埼玉県に(家賃3万円)。
所属していたタクシー会社から不当競争防止法違反の疑いをかけられ、
前年の12月までやっていたタクシーコンサル業を休止。
会社と闘ってまで、する事ではないと思いました。
しかし楽しみを失い、モチベーションだだ下がりでした。

35歳、現在もタクシー運転手で、妻の鍼灸マッサージ院のお手伝い(ほぼ娘のお守り)をやっております。また億万長者でもないのに毎月1人の命を救うナリッシュザチルドレンというチャリティー事業に24歳から参加し、10年以上経っても継続し、自己満足的に自身の豊かさを感じていました。※現在はニュースキンジャパンとのやり取りの中で不信感を抱いたためにやめました。私は人に寄与する事で、自分の存在意義を感じるような典型的な人間です。

36歳、新居に引っ越し、我が家の第2子である息子が生まれました。
息子が生まれてからは休暇を取って、ニュースキンについての勉強をしております。
子守りをしながらの勉強の日々に、すごく幸せを感じて日々を過ごしております。
娘と息子の世話をしながら過ごす毎日って幸せ過ぎですよね。たぶん。

37歳、まだ復職せず、、、
38歳、ニュースキンから解約通知が届く、、、

現在、国から約2ヶ月に1回の生活費を得て生活している日々です。
慎ましく毎日を暮らしております。
これぞ不労収入生活です。
納税者である国民の皆様に感謝します。
日本って良い国や。

P.S. 私の趣味は特にありません。
自分の人生を豊かにするために、「いま自分のできる事に集中」をモットーに日々を過ごしております。人生の目的は楽しみながら、人々に自分が貢献できるような人間になることです。